絵本
2005年 05月 16日
昨日地元の芸術大学で、荒井良二さんの講演会が行われた。
新聞で知るまで、どんな人なのか、何を書いている人なのかさえ知らず、ただ「アストリッド・リンドグレーン記念文学賞」を受賞された人・・・らしいという知識だけで・・・ね。
前にも書いたけど、ワタシは保育園でアルバイトをしている。そこでいつももどかしく思う事は、子どもたちが「絵本」を読まないこと。朝来ると、「アンパンマンみた~い」とずっとテレビだけを集中してしまう。これには、正直がっかりしている。なんとかテレビ以外のものに興味をもってもらおうと、ブロックを積み重ねたり、おもちゃを家の形にして置いていたりするのだが・・・そんなものには目もくれずに、一目散にビデオビデオビデオの大合唱。
「絵本は保育にいい」ってわかっているけど、どんな風にいいのかがイマイチわかっていないワタシ。何か「絵本」に対する見方のきっかけになればいいなと想って参加してきた。
会場に現れた荒井さんは、和製ジョンレノン!!!眼鏡の似合うすてきなおじさんでした。
自分のことを「売れない売れっ子」(今までに50冊以上絵本を書いているが、あまり売上はないらしい)と評し、「意思的に宙ブラリン」のポジションにいることを楽しんでいる真面目なオトナだと思った。子どもというとてつもなく「天才的」な読者を相手に仕事をしているだけあって、「ヘタウマ」(絵はヘタに センスはウマく)に書くことをいつも意識しているらしい。そんな真面目にフザけている荒井さんの話に触れて、こどもたちは絵そのものを見て楽しんでいることを忘れてはならないと思った。ワタシたち大人は、文章による説得力で内容を理解しようとする。それは、本の中身そのものであったり、周りの評価であったり。でも、子どもは頭で認識する前に、体で感じて成長していく生き物。絵本の中のパンを食べてみたり、次のページにでてくるお化けに悲鳴をあげてみたり、想像力が無限大に広がっているのだ。頭の固まった大人のワタシが、そんな子どもたちに「やってあげよう」という姿勢が、間違っているのかもしれないなぁ。
そうそう!
荒井さんが書いた「ハッピーさん」という絵本。大人も読める絵本ですよ。
新聞で知るまで、どんな人なのか、何を書いている人なのかさえ知らず、ただ「アストリッド・リンドグレーン記念文学賞」を受賞された人・・・らしいという知識だけで・・・ね。
前にも書いたけど、ワタシは保育園でアルバイトをしている。そこでいつももどかしく思う事は、子どもたちが「絵本」を読まないこと。朝来ると、「アンパンマンみた~い」とずっとテレビだけを集中してしまう。これには、正直がっかりしている。なんとかテレビ以外のものに興味をもってもらおうと、ブロックを積み重ねたり、おもちゃを家の形にして置いていたりするのだが・・・そんなものには目もくれずに、一目散にビデオビデオビデオの大合唱。
「絵本は保育にいい」ってわかっているけど、どんな風にいいのかがイマイチわかっていないワタシ。何か「絵本」に対する見方のきっかけになればいいなと想って参加してきた。
会場に現れた荒井さんは、和製ジョンレノン!!!眼鏡の似合うすてきなおじさんでした。
自分のことを「売れない売れっ子」(今までに50冊以上絵本を書いているが、あまり売上はないらしい)と評し、「意思的に宙ブラリン」のポジションにいることを楽しんでいる真面目なオトナだと思った。子どもというとてつもなく「天才的」な読者を相手に仕事をしているだけあって、「ヘタウマ」(絵はヘタに センスはウマく)に書くことをいつも意識しているらしい。そんな真面目にフザけている荒井さんの話に触れて、こどもたちは絵そのものを見て楽しんでいることを忘れてはならないと思った。ワタシたち大人は、文章による説得力で内容を理解しようとする。それは、本の中身そのものであったり、周りの評価であったり。でも、子どもは頭で認識する前に、体で感じて成長していく生き物。絵本の中のパンを食べてみたり、次のページにでてくるお化けに悲鳴をあげてみたり、想像力が無限大に広がっているのだ。頭の固まった大人のワタシが、そんな子どもたちに「やってあげよう」という姿勢が、間違っているのかもしれないなぁ。
そうそう!
荒井さんが書いた「ハッピーさん」という絵本。大人も読める絵本ですよ。
by hatimitu-hime
| 2005-05-16 17:41
| ワタシ×こどもたち